Apple機の昔話とWindows7

今からもう11年前、Performa 6420という家庭用マックを買った。Windows 98とかが出た頃です。
この機種、リモコンで起動や終了ができたり、テレビが見られたり、録画したりノンリニアで編集してテープに書き戻したりといった最近のパソコンがやっと普通にできるようになった事を普通にこなしていた。
各種ソフトやハードが最初からバンドル&セットアップされた状態だったので語弊はあるけれど「パソコンは何でも出来る」みたいな感慨があった物です。Windows機で同じクオリティーの作業が出来るようになるまでにはさらに7年程時間を要しましたから、この差分の7年間に蓄積したノウリッジが「応用力」として私に蓄積されているおかげでウインドウズの質問やらをやたらと受ける人になっちゃいました。
良くフリーズして困ったちゃんなOSでしたが分かりやすさという点では今のMac OS Xでも及ばないんじゃないかなと感じる点も多々あった漢字Talk 7シリーズ、軽い処理なら現役です。
分かりやすさと言う点に於いて、OSが変わった事をアピールしなけりゃならないMicrosoftは、バージョンが変わるたびに設定項目の場所と言葉の表記や定義を敢えて変更してくるので掌握するのが大変です。Windows7が10月発売とアナウンスがあって「慣れ」の為に評価機を設定していたんだけれど、センス悪いのはしょうがないのかね。fedorawindows7ですよーって与えても概ね大丈夫なんじゃないか?とさへ思う。